煙草の臭い

(あ、あの子、また……)


 いつもの場所。いつも同じ格好をしている。いつも同じ目をした。いつも同じ姿勢で携帯を見る。いつも同じように手だけ忙しそうにゲームをする女の子。
 今日もまた、同じように、女の子の周りだけ異空間のように、ただ静かに存在していた。


(いつもいつも。飽きないなあ)


 遠く。女の子の彼氏が、女の子には目もくれずに友人と話し、笑っていた。
 目の前。女の子が笑った姿など、一度も見たことはなかった。
 煙草の臭いに塗れる。女の子から、一度もそんな臭いは、この空間に居続けてなお感じなかった。


 かち、かち。


 金属の音が耳に通って、目を向ける。
 いつもと違う。小さな箱を胸ポケットの中に隠すように戻す姿。あまりに自然で、あまりにも不自然な、煙草を吸う姿。
 驚いて凝視をする。女の子は目線に気付く。あ。声が出たのは、お互い同じタイミング。目を細めたのは、女の子の方が先。


「バレたか……よく見てますよねえ、私のこと。……他意はないですよ」
「俺にも他意は……ない……よ?」
「自信なさげに言われると身構えるんですけど」


 唇に触れた煙草。煙を吸い込んで、吐き出す仕草。吸い始めたばかりにはとても見えない。慣れきった動作に意識を向けることもしていないのだろう。頭を小さく傾けて、目を細めて、口元が笑う表情。


「まー、ナイショ、で。」


 口元から離した煙草が、手元で灰になる姿に目を落として、笑わない目が俺と、遠く、彼氏を見た。
 長く、女の子のことは見てきた。暇つぶしだった始め、今は女の子を見ることが目的に変わった。
 それでも見たことがなかった姿。恐らく彼氏も知らない、臭いに塗れない彼女の姿。


「どうして、内緒にしてまで、――」


 口を動かして、止めた。静かに笑う女の子の口元が、ゆっくりと閉じた姿を見た。
 笑わない目が刺す。目を逸らす事も許さない。


「野暮なことは聞くもんじゃないし、察しの良い男は嫌いですよ」


 閉じた口が笑ったことに気が付かなかった。気が付いた時には二本目の煙草に火をつけ終わっていた。


「……なんで、察しの良い男は嫌いなんですかね」
「思い通りに動かしづらいから、扱いにくい」


 また目を細める。良くも悪くも、一番感情のこもった目。
 逃げ出したい空気に、臭いはない。
 違う。俺が感じないだけ。俺自身が嗅ぎ慣れていただけの、――


「――だから、察しの良い男は嫌いなんだ」


 煙ごと、言葉を零すように吐いた女の子は、無意識に自分の胸ポケットに触れていた俺の右手を見て、”笑った”。
 目が合う。
 逃げたいと感じた感覚が、言葉は変わらず、感情だけが変わった。


 同じ銘柄の臭い。
 慣れきっているほどは俺自身も吸っていない。
 それでも何かの薬のように、必ず持ち歩いている。
 隠しているわけでもない。人前で吸う事もあった。
 もちろん、女の子の前でも。


 今、逃げないと、女性経験の少ない俺には対処出来なくなる。
 片想い同士なら許されても、お互いの片想いを認識し合ったら、それは両想いになる。
 そこで対処をしなければ、それは同時に浮気になる――


「逃げるも進むも好きにするよろし」


 こんこん。
 灰皿に灰を落とす手元が、俺のやり方とそっくりだった。
 行動の全てが、答え合わせにしかならない。


「私は少なくとも、あの男に浮気を咎められるほど、彼氏と彼女をしているとは思っていないから。来るなら拒みはしないよ」


 揺れていた視界が、女の子の目を捉えた。
 目が、口が、表情の全てが笑っていた。歪んだような色をした目が、薄く光を灯す目が、謝るような、求めるような目が、


「止め方は、知らないからな」
「……お好きに」


 遠く。女の子の彼氏が、俺たちには目もくれずに友人と話し、笑っていた。
 目の前。女の子が笑った姿を、初めて見た。


 近付いて、触れた唇は、薄い色からは感じられないほどの熱を持っていた。
 鼻を触れた肌と髪から、ほんの少しだけ同じ臭いを感じた。


「とりあえず、本名、知り合うところから始めようか……」
「順番間違えてるのはともかく、動揺を隠せるようにならんと浮気なんぞ出来ないのでは」
「すぐに浮気じゃなくしてやるから、大丈夫」
「――……へえ。大口叩いて大丈夫かね」
「……期待しないで」
「期待して待ってるよ。男のせいに出来るのが女の特権だからね」


 三本目に火を付けた”彼女”は、しっかりと笑って煙を吸い込んだ。
 まずは禁煙から、お互い始めよう。そんな笑い声を、二人で零して。