曖昧な雰囲気。街はまだ明るい。暗くなることを知らなそうな場所。
「今日はありがとう、でした」
大きめのバッグを抱え直して、頭を下げる。ワイシャツ姿の三人が軽く笑うように息を吐く。
「どういたしまして。ちゃんと泊まる場所はあるんだよな?」
「――はい」
泊まる場所を考えて、一瞬だけ思考が泳いだ。ワイシャツ姿の二人、の横で、一人だけ、一瞬口元を緩ませた。
――家出をしよう。
そう思ったのは本当に、突然だった。
家にいることが嫌になって、彼氏が嫌になって、所持金を思い出して、自分の職はどこでもやれる職だと気が付いて、仕事道具と最低限の着替えだけを持って、気が付いたら電車に乗っていた。
《家、出る。暇ならご飯でもどう?》
オンラインゲームでよく一緒にプレイしてくれていた人にメッセージを送っていた。夕方、他のフレンドがまだログインしない、二人きりの時間に、よく私の愚痴を聞いてくれていた。
東京駅というものは、思っていたほど人混みではなかった。迷路のような形は噂通りだったけれど、平日の夕方ということもあったのかもしれない。
《北口。わかる?》
《看板あったから、行けると思う。》
会ったこともない人と、一人で会う。怖いという感情があまりにも無いのは、毎日のようにゲーム内で話をしていたからかもしれない。
指定された場所までなんとか辿り着いて、人混みとは言わなくていい程度の人を見渡して、ふと、彼がどんな見た目なのかすらわからないことに気が付いた。
《青い、大きいバッグ肩から下げてる。髪黒くて、長い。》
自分の姿と、周りの人と違う目立つ持ち物を書いて送る。すぐに既読がついて、下手に動くよりここで待った方が良いか、と柱にもたれかかる。
彼氏がいる身で、知らない男性と会う。良くないこととわかっていて、それでも止まろうとしない頭を嘲笑って、左薬指についた指輪を抜きかけた。
「――しーちゃん?」
抜けかかった指輪をそのままに顔を上げた。男の人にしては少しだけ髪の長いワイシャツ姿の男性が声をかけてきた。
「なもさん?」
「おー。そうそう。すぐ見つけられて良かった」
十歳近く年上の人がくしゃっと笑う。幼く見えたのは、なもさんの身長が小さいからというのもあるのかもしれない。それでも私よりは全然大きくて、近付かれたらさすがに見上げる形になった。
「しっかし家出にしたって突然だったな。最近愚痴溜まってんなーとは思ってたけど」
「ご、ごめんなさい……」
「ん、別に責めてねーよ。いつ逃げてもおかしくない環境だっただろうし」
そう言いながらワイシャツのボタンを一つ外して、首元の緩みを大きくする。少し見えた肌色に、刺青が入っているのを見た。
「あー……ご飯、どこ行く?」
刺青にドキッとしたことは伏せた。悩むような目の泳がせ方をしたくて、当初の予定を思い出した。
「ああ、言い忘れてた。もう少ししたら桑折こおりさんとリリも来るって。そしたら動くか」
なもさんにしか声をかけてないつもりだったのが、ギルドマスターとメンバーの名前が出てきた。なもさん以外とはあまりまだうまく喋れていないせいで、驚きと少しの怖がりが出て、上手く声が出ない。
「彼氏持ちの女の子と二人きりで会うってのは、まーほら、体裁的にキツいっしょ」
抜きかけて、手癖でまた付けてしまった指輪を触った。