部屋の壁にかかっている時計の針がてっぺんを過ぎて、手に握っていた携帯の日付が、真っ直ぐを多く表示したのを見た。
「そういえば、今年も秋、なかったですね。」
11月になった今でも、半袖の服を着る日中がある。夜はといえば、1人でいたらおかしくなるような寒さ。
昼は夏、夜は冬のような気がして、今年は秋がないな、なんてぼんやりと、小さな満月を見ながら思う。
「いや、あるじゃん、秋。」
隣の布団で、背中を向けて本を読んでいた男の人は、口元までかぶった布団の中で、くぐもった声で不思議そうな声をした。
「……?」
同じく布団を口元までかぶって、その中で携帯を見ていた私は、本当にあったのかと思い込んで、携帯を口元につんと置いて考え込む。
すす、と衣擦きぬずれの音がしてそっちを見ると、背中を向けていた男の人が、顔を半分だけこちらに向けて、そんな私の顔を見て、少し笑った。
「秋晴。まだ俺の名前、覚えてない?」
「……ああー。覚えてませんでした。」
同じ部屋で一緒に眠り始めたのは今年の夏頃。まだお互い、布団から足を出していた覚えがある。
そんな些細ささいなことは覚えているのに、この男の人のことは未だに、何も覚えられていない。
「難儀なもんだな、それ。」
笑った表情のまま、また秋晴と名乗った男の人はまた私に背を向けて、布団の中で本を読み始めた。
――難儀なもの。記憶障害。
男の人の背中を見て思い出せたものは、たったそれだけ。
自分の障害と、それに何故か付き合ってくれている見知らぬ男の人。それなのに、まるで他人事のように感じる、不思議で、なんとなく気持ちの悪い感覚。
「難儀……なのに、どうして笑っているんですか?」
携帯はまだ口元に置かれたまま。まだ少しくぐもった声は震えていた。
秋晴さんは、今度はこちらを見ず、開いていたページにしおりを挟んで、静かに本を閉じた。
「んー、別に。そこで眠るってことを覚えてくれてるだけでも、俺と君にとっては進歩だから。
たまにこうやって、俺に興味持ってくれるだけで良いよ。
口数多い関係、苦手だから、ちょうど良いしね。」
そうやって、言うだけ言って、秋晴さんは部屋の電気を消して、眠る体勢になって目を瞑った。
記憶にはないけれど、毎日こんな感じで、自由な人なのかなあ、なんて考えて、口元の携帯を枕元に置いて、私も目を瞑る。
「――明日、晴れてたら、秋桜。見に行こうか。」
さっきより通る声が、真っ暗な部屋に響いた。
「覚えてなくて良いよ。俺が行きたいだけだから、俺が勝手に連れて行くから。」
それでまた、沈黙。真っ暗な部屋はまた静かになって、次第に秋晴さんの寝息がすーっと聞こえた。
――覚えていなくても良い。
たったそれだけの言葉が、なんだかじんわりと体の、心の中に染み込んできて、自然と頬が柔らかくなって、次第に眠気が意識を包み込んできた。
こんなにも怖くない眠気はいつぶりだっただろう。記憶はないのに、直感的にそう思った。
「秋晴、すると、いいなあ……」
天気予報では、きっと明日も日中は夏のよう。
けれど、明日の私が、「今日は秋らしい」なんて言えたら、それでとても、この男の人は笑ってくれると思う。